人間の一生と云う物にはシナリオが無数にあるらしく、同じ境遇の者が居なければ、何が起こるのかも計り知れない。
 と云う訳で、今日この瞬間に何が起こるのかすら分からないと言う事なのだが、身をもってそれを実感できるとは誰も思っては居ない。勿論、彼女もそうだった。
「……は?」
 空気の抜けていくような間の抜けた返事を返したミヤトに、彼女の母は別段大したことでないように繰り返した。
「だから、貴女が行く大学の近くに丁度うちの親類の家があるのよ。今、その家は使ってないから貴女が一人暮らしするなら使ってもいいと言われたの。良かったわねーー、初めての一人暮らしにして一軒家よ」
 一体普通の人間であればどう返事をしただろうか。驚いたか、不安に思ったか。はたまた大喜びか。しかし、彼女の反応はどれとも違った。顔色を変えることもなく。
「そう。それで、どんな家なの」
「うーーん、御屋敷、だって言ってたわ。何でも明治の頃に建てられて、随分古めかしい感じだそうよ。昔は外国の貴族の方に貸してた、って言うぐらいだから、完全に洋風なんでしょうねー。あ、全室土足ですって」
「へぇーー……そりゃ凄い」
 母の言葉を横に聞きながら、彼女は本に目を走らせるばかり。
 ミヤトからしてみれば、当面の住居が何の苦労もなく手に入ったというだけで、良かったのである。
 近所の人どころか、実の親でさえ、彼女のことを変わり者だと認識しているという。








 『と或る屋敷の伯爵と』








  一、書庫にて遭遇したり

 その屋敷はミヤトの前に突然現れた。
 閑静な住宅街だと思っていたそこに、唐突に姿を現したのがそれだ。壁という壁は蔦が這い、覗き見えただけでも庭は庭ではなく、もはや林と化している。ただ幸いなことに、窓が割れていたりだとか、蝶番が外れていたりだとか、廃墟と見間違えそうな状況には陥っていなかった。雑草に埋もれてはいるが。
「外がこれなら、中は埃が待ってるだろうね」
 そして舞ってるだろう、などと呆れているのか楽しんでいるのか、どちらとも取りがたい笑みを浮かべながら、ミヤトは門の鍵穴へと鍵を差し込んだ。少々抵抗があったようだが、それは難なく開く。石畳の上を歩いて行けば、観音開きの玄関に到着した。細かな装飾に積もった埃や泥を手で払いのけ、鍵穴へと鍵を差し込めばカチリ、と小気味のいい音がした。
 何も臆することなくミヤトは戸を開く。彼女の心は浮きだっていた。表面上はいつもと大差ないが、アンティーク収集の癖がある彼女にとって、此処は家そのものがそれだ。加え、此処には書庫があり、大量の本が残されたままだとも聞いているのだ。時間があれば活字を追っている彼女にとって、此処は天国かと見間違う場所なのだから自然足取りが軽くなるのも無理はない。全室土足とは真のようで、戸を開けた先に段差はなく、濃い赤の絨毯が廊下に伸びていた。ミヤトはそのまま進んでいく。
 歩く度に、埃が舞った。
 目指すは勿論書庫。
 途中、窓という窓を開け放ち、埃っぽい空気を入れ替えながら、ミヤトは奥へ奥へと進んでいった。外から見ても十分広い印象を受けたが、中はやはり広く、どこまでも奥へと続いているかのようだった。長い廊下の突き当りがやっと見え、そこの左に伸びる狭い階段を上へと上る。上り詰めればステンドガラスの聖母が微笑んでいた。その左手に、ドア。
「ここか」
 ノブに積もった埃を払い、右へゆっくりと廻す。木の擦れる音と共にドアは開いた。
 埃が舞っている。
「ほー……」
 これでもかと言わんばかりに並べ立てられた本棚には、ぎっしりと本が詰まっていた。それでも足りなかったのか、残りの本がそこかしこに積まれている。どれも触れればページが滑り落ちそうな古めかしい物ばかりだった。そんな本の林をミヤトは進む。あちらこちらへ視線を流し、気になったものにそっと触れた。
 暫く退屈しなくて済みそうだ。
 そんなことを思いながら、さらに奥へと進んでいく。と、何かが目に入った。光が差し込む、窓の傍。
 肘掛け椅子。
「……人形?」
 近づけば、ミヤトの身長よりも高そうな、男がそこにあった。
「いや、人形にしてはやけにリアルだな。どこにも継ぎ目がない」
 薄い金糸の髪に、閉じられた瞼。紺色のスーツに身を包み、静かに座っていた。読みかけの本を手に、あたかも途中で眠ってしまったかのような、そんな。
「何の本を持っているんだ?」
 表紙を覗き込むが、丁度手の位置で見えない。彼が倒れないように手で支え、そっと本を引き抜いた。
 ぱちり。
「え」
 目が、あった。
「……君は誰だ?」
 彼は言った。
 酷く、眠たそうに。
「まぁお前が何者かはいいとして、今は何時だ? 随分長い間眠っていたような気がするな」
 凝り固まった体を解す様に、彼は立ち上がり伸びをする。彼に積もっていた埃がぱらぱらと落ちていった。呆然とそれを見ていたミヤトは、何を思ったか少々思案に暮れた。そして口を開いた。
「一応聞いておくが、貴方は私の叔父ではないな?」
「俺に君みたいな姪がいたか?」
「いや、私に聞かれても困る。叔父の名前は……マサトと言ったか?」
「誰だ、それは。俺の名前はバジーリオ。生まれはイタリアだ」
「……へぇ、そりゃ凄い」
 金髪の時点で日本人ではないとは思っていたが。はっきりと答えられるとまた感じ方が違うと言うものだ。ミヤトはどこか遠くを眺めた。が、それも短い時間で終わる。
「色々私が確認してもいいだろうか。それとも私について何か聞くか。どちらがいい?」
 近くにあった椅子を引き、窓を開けてから埃を払う。どこもかしこも埃だらけだ。腰掛けながら、掃除の順番を考えていた。バジーリオもミヤトにならい、腰掛へと再び座り込む。
「そうだな、まずは君の名前を聞こうか」
「私の名前はミヤト。日本生まれで、今日から此処で一人暮らしをするはずだった。ここの屋敷の持ち主の姪にあたる」
「はずだった?」
「貴方が居るから予定が変わりそうだからそう言ったまで。それで、バジーリオさん。とりあえず、貴方の素性から教えてください」
「俺か。俺はバジーリオ。イタリア生まれで――……あれ」
 はた、と止まったバジーリオを見れば、曖昧な苦笑を向けられた。
「すまない。何故此処にいるか分からないようだ」
「……へぇ」
 また、ミヤトの視線が遠くに泳いだ。そんな彼女にバジーリオは苦笑を浮かべたまま言う。
「何故此処に居るのかは分からないが、とりあえず、俺は此処に住んでいるよ。地位は伯爵なんだが」
「……じゃあ伯爵。貴方の暦だと今日は何日ですか」
「3月かな。3月16日」
「何年の?」
「1874年?」
「くそーー明治かよ」
 棒読みで、尚且つ呆れた表情でミヤトは呟く。いまいち状況が把握できない伯爵は首をかしげた。
「とりあえずもう一つ確認。伯爵は人間?」
「……どうだろう」
「そこからして曖昧なのか。とりあえず説明をしておくけど、今は平成と言って明治からすでに200年近く経ってる。いや、150年くらいか。埃のつもりぐらいから言って、伯爵は随分そこで眠ってたみたいだね。どうして途中で目覚めなかったかは不可思議なところだけど」
 まるで昼下がりのティータイムのように、2人はのんびりと向かい合う。ミヤトもミヤトで驚きも恐怖も全くなく、当たり前のように話せば、伯爵ものんびりとそれに耳を傾けていた。
「そう。それで、今日君が来て、俺が目を覚ましたんだね、ミヤト」
「そういうわけだ」
「じゃあ、どうしよう。君は此処に俺を置いてくれる? 200年、だと回りに俺を知ってる人は居ないだろうし、行くあてはない。けれど、君が出て行けというならそうするよ」
 どうかな、と聞かれる。普通なら返事に窮する所だ。
「簡単に言うが、世の中そんなに甘くない。居るといいよ。寝るところに困りはしないだろうからね。それで物は相談なんだけど、伯爵って掃除できる?」


2007/05/10 神崎由良

 途中です。思いっきり。
1年以上放置してますが、結構お気に入りの作品。
続きます(多分)












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