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 快適な天気が続いています。
 2月の初めのうちはまだそれなりに寒く、雪もほんの少し積もったりして、もの珍しくてはしゃいだりもしていましたが、少し日が進むと、寒さはどこかに行ってしまい、やさしい風が吹き始めました。
 ずっと暖冬だとは言われていたようですが、ここで初めてそれを実感しました。とはいっても、僕の体は「暖かい冬」だと感じはしませんでした。もう春が来たのだと感じていました。
 春の朝のけだるさ、やわらかい空気。入学式の初々しい気分……。ひどく久しぶりのように思えるなつかしい感覚は、僕の心をすっかり明るくしてくれました。あれからまた気温の下がる日はありましたが、あたりの空気はもうすっかり春なのです。
 早すぎる春の訪れの裏には、おそろしい冷笑が隠されているのかも知れません。でも今は、ちょっとフライングしただけだよ、などと呑気に無邪気に言っていたい気分です。そこまで含めて、僕は完全にだまされてしまっているのでしょうか。ともかく、気持ちのいい2月の日々がもう少し続きます。



 トップページにそぞろごと毎週更新と書いていたのを消してきました。やはり時々しか書けないものです。
 現実世界で話すときには、その人たちと話したことのないことを次々と持ってくればいいのですが、インターネットは、地球全体が一つの世界のようなもので、何をしても誰かに先取りされているような気がしてしまいます(それが大人の社会というものなのでしょうか)。僕の日常の出来事をいちいち報告したら他人と同じにはならないとはいえ、特に変わったことをしている訳でもない僕の現実のことを書いても、面白みがあるものになるとは思えません(体験する楽しさとそれについて聞かされるときの面白さは別でしょうから)。
 ということで、当分の間、誰もが書くようなことをたまに書いていくだけにします。自分のサイトを眠らせてしまわない程度に。もっと高度な言葉の使い方が分かったり、自分のピアノ演奏によほど自信がついたりしたら、このサイトにも新たな可能性が見えてくるかも知れません。でもそれはまたずっと先の話です。

縦書きと横書き

 ときどき無性に縦書きの日本語とふれたくなることがある。目をまっすぐ上下にすべらせて文字を追ったり、上から下へと流れるように書いていったりすることに、えもいわれぬ快感を感じることがある。背骨のような縦書きの日本語に、僕はある種の執着をもっているようだ。

 僕がこれまでに目にしてきた日本語は、縦書きと横書きとどっちが多いのだろうか、という疑問がふとうかんだ。小学校以来の学校の教材は、国語以外はたいてい横だ。(日本史ぐらい縦にしてくれてもいいのに。)本や新聞はまだまだ縦が多いだろう。パソコン上では、街中では……。

 日本語の歴史から見て、左から右に書くようになったのはつい最近のことだろう。しかしそれ以来、横書きの日本語は猛烈な勢いで増えてきたに違いない。ウェブサイトなど、横書きで読んでいる人がほとんどではないだろうか。このサイトも、全て横で打ち込んでいるし、縦で表示するような設定は特にしていない。(個人的にはパソコン上では横書きの方が読みやすいと思っている。縦書きにされたページはどうも読みにくい感じがする。左にずっと広がっているのがなじまないのかも知れない。)

 僕の友人に、国語のノートを横書きにしている人が何人かいる(現代文と古文。さすがに漢文は縦のようだが)。先生がそれに気づいたときは、しっくりこないような顔をしていたが、本人はどうして横ではいけないのかと言う。単なる感覚的な問題であって特にいけない理由がある訳ではないので、誰もうまく説明できなかった。でもやはり僕には不満が残る。

 さて、縦書きと横書きとどちらを多く見てきたのかというと、僕は大した読書家でもないので、結局横書きの方が圧倒的に多いのだろう。このこともまた、だからどうということではないが、どこか残念なような気がする。

あけましておめでとうございます。

 2006年は、一時サイトが閲覧できない状態になった後、アドレスが変更になりましたが、また少しずつ来てくださる方が増えてきました。本当にありがとうございます。
 今年もあまり派手な更新はできないと思います。このそぞろごとだけは、気ままに続けていきたいと思うので、どうぞよろしくお願いします。

巡礼の年第2年

 第6回アンケート(巡礼の年第2年「イタリア」・同補遺「ヴェネツィアとナポリ」)を公開してきました。なんとか年内にできました。
 充実したコメントを書いてくださっている方が多かったので、とても助かりました。ほとんどの方の評価が非常に低い曲が3曲あって、驚きましたが、「ペトラルカのソネット」や「ダンテを読んで」のような傑作と比較されたら、そうなっても仕方がないのかも知れません。

 さて、今回改めてこれらの曲を聴いて、極私的曲紹介に収めている文章を読んでみましたが、もう随分前のことで、何もまともなことは書けていない感じです。この機会に新たに何か書いておいてもいいだろうと思い、ここに場を移して、一曲ずつ簡単にコメントしてみることにしました。


 まず巡礼の年第2年「イタリア」の方から。

 第1曲「婚礼」。以前は全く良さが分かっていませんでした。印象派的ということで、なるほどなと思いました。最近になってドビュッシーが好きになって、そうしたらこの曲も実に美しい曲だと感じるようになったようです。

 第2曲「物思いに沈む人」。僕は前からそこそこ好きな曲なのですが、人気は高くないようですね。この曲は、人間的な悩ましい世界というより、そういうものを超越した宇宙的な静の世界だと感じます。「スケルツォとマーチ」やソナタロ短調に似た種類の、広がりを持った暗さではないかと思います。
 この曲は後に、3つの葬送頌歌第2番「夜」(ハワード第3巻所収)の一部になります。リストが自身の葬儀で演奏してほしいと望んだ曲だということです(その望みは叶えられませんでしたが)。この暗さは、光が差すような神秘的な中間部と見事にマッチしていると思います。

 第3曲「サルヴァトール・ローザのカンツォネッタ」は、逆に明るすぎて受け入れられていないようです。この曲だけ作曲年代が違うということは、曲集全体のバランスを考えて付け加えたのでしょうか。

 第4曲「ペトラルカのソネット第47番」。それぞれに非常に魅力的なペトラルカ3曲の中では、一番目立たない曲だという気がしますが、それでも十分に素晴らしい曲です。シンコペーションが効いています。

 第5曲「ペトラルカのソネット第104番」。3曲の中で最も演奏される機会は多いと思います。前好きになれなかったのは、情熱的な様子を見せたかと思えばすぐに冷めた表情に変わってしまうからなのですが、そういう内容の原詩なのですね。(平和を感じず戦いもない、という冒頭から、恐れながら望む、燃えながら凍る、などと次々と反対の言葉がぶつけ合わせられていき、最後に「こうなってしまったのは、女よ、あなたのせいなのです」ときます。)今ではこのような悩ましさが大好きです。

 第6曲「ペトラルカのソネット第123番」。今はこれが3曲の中で一番好きです。原詩は美しい女性を描いたものですが、過去の思い出として語ることで、さらに美しく切なくなっていると思います。

 第7曲「ダンテを読んで――ソナタ風幻想曲」については、まだ語ることを避けておこうと思います。ソナタなどとは大分違った色合いの曲だという気がしたということだけ書いておきます。


 続いて巡礼の年第2年補遺「ヴェネツィアとナポリ」。

 第1曲「ゴンドラを漕ぐ女」は、思っていたよりもはるかに流麗な曲でした。和音の重なりといい、トリルといい、素晴らしい編曲です。

 第2曲「カンツォーネ」はたしかに分が悪いかな……。でも3曲つづけて弾くことが意図されていることを考えると、単独で評価するのが悪いとも考えられます。この曲の最後から「タランテラ」はなだれ込んでいくところは、非常に効果的だと思います。

 第3曲「タランテラ」。僕も大好きな曲ですが、この曲が第1位になるとはちょっと予想していませんでした。格好いいメロディーはギヨーム・ルイ・コトローなる無名の作曲家によるもので、(残念ながら)リストの功績ではありませんが、編曲においてリストらしい魅力が存分に出ているといえるでしょう。



 第2年「イタリア」に関連する芸術作品を並べてみます。(単なる飾りです。なお、ダンテ関連以外の5つの詩については、音楽之友社『新編世界大音楽全集』のリストの巻に野本由紀夫氏の翻訳があります。)

Raffaello Sanzio "Sposalizio"
ラファエロ・サンツィオ 「婚礼」
http://www.artchive.com/artchive/R/raphael/raphael_sposalizio.jpg.html


サン・ロレンツォ教会のメディチ家廟墓(ミケランジェロ)
http://www.wga.hu/html/m/michelan/1sculptu/medici/index.html
※ロレンツォ・デ・メディチの像が通称"Il penseroso"(「瞑想」や「思索」と訳されることが多いようです)。リストはこれを題名に採っています(リストの曲の方は通例「物思いに沈む人」か「考える人」と訳されます)。
※ロレンツォの像の下は、左に「黄昏」、右に「曙」。これらの反対側にジュリアーノ・デ・メディチの像(「行動」)があり、この下は、左に「夜」、右に「昼」があります。


Michelangelo Buonarroti "La notte"
ミケランジェロ・ブオナローティ 「夜」

Caro m'è il sonno e più l'esser di sasso
Mentre che'l danno e la vergogna dura,
Non veder, non sentir, m'è gran ventura;
Però non me destar, deh! parla basso.

※上記の彫刻「夜」にミケランジェロ自身が寄せた詩。リストの「物思いに沈む人」の第1版にのみ標題として引用されています。


サルヴァトール・ローザ(Salvator Rosa)の詩

Vado ben spesso cangiando loco
Ma non so mai cangiar desio.
Sempre l'istesso sarà il mio fuoco
E sarò sempre l'istesso anch'io.


Francesco Petrarca "Canzoniere" 61
フランチェスコ・ペトラルカ 『カンツォニエーレ』第61番

Benedetto sia 'l giorno e 'l mese e l'anno
e la stagione e 'l tempo e l'ora e 'l punto,
e 'l bel paese e 'l loco ov'io fui giunto
da' duo begli occhi che legato m'ànno;

e benedetto il primo dolce affanno
ch'i' ebbi ad esser con Amor congiunto,
e l'arco e le saette ond'i' fui punto,
e le piaghe che 'nfin al cor mi vanno.

Benedette le voci tante ch'io
chiamando il nome de mia Donna ò sparte,
e i sospiri e le lagrime, e 'l desio;

e benedette sian tutte le carte
ov'io fama l'acquisto, e 'l pensier mio,
ch'è sol di lei, si ch'altra non v'à parte.


Francesco Petrarca "Canzoniere" 134
フランチェスコ・ペトラルカ 『カンツォニエーレ』第134番

Pace non trovo e non ò da far guerra,
e temo et spero, et ardo e son un ghiaccio,
e volo sopra 'l cielo, e giaccio in terra,
e nulla stringo e tutto 'l mondo abbraccio.

Tal m'à in pregion, che non m'apre né serra,
né per suo mi riten né scioglie il laccio,
e non m'ancide Amore e non mi sferra,
né mi vuol vivo né mi trae d'impaccio.

Veggio senza occhi et non ò lingua et grido,
e bramo di perir e cheggio aita,
et ò in odio me stesso ed amo altrui.

Pascomi di dolor, piangendo rido,
egualmente mi spiace morte e vita:
in questo stato son, donna, per voi.


Francesco Petrarca "Canzoniere" 156
フランチェスコ・ペトラルカ 『カンツォニエーレ』第156番

I' vidi in terra angelici costumi
e celesti bellezze al mondo sole,
tal che di rimembrar mi giova e dole,
chè quant'io miro par sogni, ombre et fumi;

et vidi lagrimar que' duo bei lumi
ch'àn fatto mille volte invidia al sole,
et udi' sospirando dir parole
che farian gire i monti et stare i fiumi.

Amor, senno, valor, pietate e doglia
facean piangendo un piú dolce concento
d'ogni altro, che nel mondo undir si soglia,

ed era il cielo a l'armonia si intento,
che non se vedea in ramo mover foglia:
tanta dolcezza avea pien l'aere e 'l vento!

※詩集の中でソネットだけを数えると、それぞれ第47番・第104番・第123番になります。


Dante Alighieri "Divina Commedia"
ダンテ・アリギエーリ 「神曲」
http://world.std.com/~wij/dante/index.html


Victor Hugo "Après une lecture de Dante"
ヴィクトル・ユゴー 「ダンテを読んで」

Quand le poète peint l'enfer, il peint sa vie:
Sa vie, ombre qui fuit de spectres poursuivie;
Forêt mystérieuse où ses pas effrayés
S'égarent à tâtons hors des chemins frayés;
Noir voyage obstrué de rencontres difformes;
Spirale aux bords douteux, aux profondeurs énormes,
Dont les cercles hideux vont toujours plus avant
Dans une ombre où se meut l'enfer vague et vivant!
Cette rampe se perd dans la bruime indécise;

Au bas de chaque marche une plainte est assise,
Et l'on y voit passer avec un faible bruit
Des grincements de dents blancs dans la sombre nuit.
Là sont les visions, les rêves, les chimères;
Les yeux que la douleur change en sources amères,
L'amour, couple enlacé, triste, et toujours brûlant,
Qui dans un tourbillon passe une plaie au flanc;
Dans un coin la vengeance et la faim, soeurs impies,
Sur un crâne rongé côte à côte accroupies;
Puis la pâle misère au sourire appauvri;
L'ambition, l'orgueil, de soi-même nourri,
Et la luxure immonde, et l'avarice infâme,
Tous les manteaux de plomb dont peut se charger l'âme!
Plus loin, la lâcheté, la peur, la trahison
Offrant des clefs à vendre et goûtant du poison;
Et puis, plus bas encore, et tout au fond du gouffre,
Le masque grimaçant de la Haine qui souffre!

Oui, c'est bien là la vie, ô poète inspiré,
Et son chemin brumeux d'obstacles encombré.
Mais, pour que rien n'y manque, en cette route étroite
Vous nous montrez toujours debout à votre droite
Le génie au front calme, aux yeux pleins de rayons,
Le Virgile serein qui dit: Continuons!

6 août 1836

※"Les Voix intérieures"(『内なる声』)所収。




 次回は、このままの流れで「巡礼の年第3年」にしました。どの曲が1位になるかは大体見えていますが、その他の好きな曲がどのような評価を受けるのか、興味があるところです。ぜひご協力お願いします。

音楽的

 詩などに関して「音楽的」と言われるとき、多くの場合、何かが繰り返されているような気がします。

 音楽そのものを考えてみると、たしかに様々な形で繰り返しがおこっています。同じテーマが何度も何度も出てくることがよくあります。時にはそのせいで飽きてしまうということもありますが、わずかに変わっただけで、飽きることなく、繰り返しに心地よさを感じているということがよくあるようです。



 岩田宏の処女詩集『独裁』に、「ルフラン」という詩があります。ルフラン(refrain)とはフランス語で繰り返し句のこと、英語ではリフレイン。全行引用します。

ルフラン――すべてをルフランに変える青春の無知

あの廻ってる人たち
あの光ってるネオン
あの歌ってる女
「あなたに惚れた」
「わたしも」
あの廻ってるたのしい人たち
あの光ってるつめたいネオン
あの歌ってる不幸な女
「あなたに惚れた」
「わたしも」
あの廻ってる喫茶店のたのしい人たち
あの光ってるビルのつめたいネオン
あの歌ってるレコードの不幸な女
「あなたに惚れた」
「わたしも」

(思潮社 現代詩文庫『岩田宏詩集』より)

 この詩のいいようのない気持ちよさ。でも、書かれている内容自体がすぐれた詩的な内容だとは思えません。最初よんだときは、何で好きなんだろうと不思議に思いましたが、これは繰り返しという単純な仕掛けがもつ魅力なのでしょう。そして、どうしてこれが気持ちいいのかという疑問は、どうして音楽が好きなのかという前々回の話と同じことなのだろうと思います。



 音楽の中にある繰り返しは、テーマの繰り返しに限りません。
 たとえば3拍子のままで延々と曲が進んでいっても、そのために嫌気がさすということはなく、むしろそのためにとても聴きやすい親しみやすい音楽になります。

 これは、句集や歌集、あるいはほぼ同じ長さの散文詩を書き続けている粕谷栄市の詩集などを読むときの安心感と通じるものがあると思います。

 生まれる前に聞いていた音も、心臓の音に拍子取られた1拍子の音楽だったのではないでしょうか。



 話を広げると、宇宙のあちこちで回転運動があり、繰り返しがあるのですから、宇宙そのものが音楽的なものだと言ってもよさそうな気がします。もっとも、人間にとってはやや変化に乏しすぎるかも知れませんが。



 最後に詩をもう一篇引用させてください。入沢康夫の、やはり処女詩集『倖せ それとも不倖せ』から。

キラキラヒカル

キラキラヒカルサイフヲダシテキ
ラキラヒカルサカナヲカツタキラ
キラヒカルオンナモカツタキラキ
ラヒカルサカナヲカツテキラキラ
ヒカルオナベニイレタキラキラヒ
カルオンナガモツタキラキラヒカ
ルオナベノサカナキラキラヒカル
オツリノオカネキラキラヒカルオ
ンナトフタリキラキラヒカルサカ
ナヲモツテキラキラヒカルオカネ
ヲモツテキラキラヒカルヨミチヲ
カエルキラキラヒカルホシゾラダ
ツタキラキラヒカルナミダヲダシ
テキラキラヒカルオンナハナイタ

(思潮社 現代詩文庫『入沢康夫詩集』より)

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