決闘は1837年ですが、少し前から話を始めましょう。シャルル・ダグー伯爵(Count Charles d'Agoult, 1790-1875)とマリー・ド・フラヴィニー(Marie de Flavigny, 1805-1876)は1827年5月に結婚しました。しかし、1832年12月頃にマリー・ダグーがリストに出会って以来、二人は急速に親交を深めていきます。そして1835年6月、二人はパリを離れてスイスに来ました。当時リストは23歳、マリーは29歳。
そしてクライマックスの直接対決は、1837年3月31日木曜日、“革命のプリンセス”クリスティーナ・ベルジョイオーソ=トリヴルツィオ侯爵夫人(Prince Cristina Belgiojoso-Trivulzio, 1808-1871)のサロンで行われました。このときの鍵盤が象牙だったので、「象牙の闘い」と呼ばれています。チケットは異常に高く、集まったのは200人前後でした。二人以外にもヴァイオリニストのジョゼフ・ランベール・マサール(Joseph Lambert Massart, 1811-1892)やクレティアン・ユルアンを含む10人が演奏したとのことですが、ウォーカーは「彼らは家にいた方がよかっただろう」("they might as well have stayed at home.")と書いています。あまりに容赦ない言い方だと思いますが、聴衆が皆リストとタールベルクを見に来ていたことも明らかです。
最初にタールベルクが「『エジプトのモーセ』による幻想曲」を弾きました。その後リストの「『ニオベ』の主題による大幻想曲」。どちらも特長を充分に発揮した最高の演奏だったといいます。そして勝負の結果は――?
ベルジョイオーソ侯爵夫人の名言、「タールベルクは、この世で一番のピアニスト。でもリストはこの世で唯一のピアニスト!」(野本氏の訳です。この言葉、英訳も日本語訳もいろいろあります。原語で読めばすっきりするのですが、ちょっと見つかりませんでした。)なかなか意味深で、矛盾しているようにも見えますが、言いたいことはよく分かります。真面目なピアニストを一列に並べたらそのトップはタールベルク。でもリストは特別な天才で、その中に入れて比べることはできない。(一見、あの“ナンバーワンよりオンリーワン”に近い意味のように思えますが、これは違うはずです。フランツ・リストは世界に一人だけしかいない。それは当たり前のことです。侯爵夫人は、ピアニストは世界にリストだけしかいないと言っているのですから!)とにかく、どちらか一人を選ぶということは避けられた訳です。1837年4月3日の「デバ」誌で、ジュール・ジャナン(Jules Janin, 1804-1874)が「勝利者が2人、敗北者はいなかった」と書いています。このようにして、パリでの騒ぎは一応収まったようです。(“新しい”ピアニストが“古い”ピアニストを打ち負かしたような書き方をしている人もいますが、新しいリスト“も”受け入れられた、というぐらいで充分ではないかと思っています。)
原曲を作ったジョヴァンニ・パチーニ(Giovanni Pacini, 1796-1867)はイタリア人の作曲家です。オペラ「ニオベ」は1826年に初演され、その中で今回使われているカヴァティーナ「君の胸のときめき」("I tuoi frequenti palpiti")は、当時流行っていたようです。
始めはこの前半しか出てきません。「咲いた咲いたチューリップの花が」ばかり続けているような感じです。明るく始まりますが、じきに短調になり、かなり緊迫した印象を与えます。上からガラスが降ってくるような音型が何度も出てくるのは、いつ聞いてもゾッとします。ショパンの「バラード第2番」Op.38♪の激しいところなどを思い浮かべてみてください。
しばらくすると、ゆったりした音楽が来ます。オペラファンタジーのこういうところも大好きです。メロディー自体にもちろん魅力があって、ゆっくりなのに興奮できます。でもそれだけでなく、一旦ホッとしたということは次にまた更に激しい興奮が来るに違いない、という確信的な予感もあり、期待が高まります。この部分を聴いて、「『ノルマ』の回想」(ベッリーニ=リスト)♪[13:13]の「戦争だ! 戦争だ!」("Guerra! Guerra!"、変ホ短調)の前の部分(MIDIでは10:25辺りまで)や、「『ラ・カンパネラ』による華麗なる大幻想曲」♪[13:14]の最後の方の、左手が5連符のところ(MIDIでは11:05〜11:54)を思い出しました。
カデンツァの後に、予想通り元に戻ってきます。前と同じようなのをしばらく繰り返しますが、下りていった後の上昇にご注目ください。16分音符4つ組のそれぞれ最初の音を聴いていくと、全音階になっていることがお分かりになるでしょうか? ハワードによると、これがリストが初めて使った全音階なのだそうです。リストの“新しさ”のさりげないアピールなのかも知れません。
この後、やっと後半のメロディーを聴くことができます。始めで聞いたときには全然リラックスできなかったメロディーですが、ここまで聴くと、これも非常に親しみやすい旋律だったことが分かります。人気になるのもよく分かる。
ここからテンポをアップダウンさせながら巧みに興奮状態へ引き込んでいき、最後はPrestissimoの「出来るだけ、メッチャ強く!」(il più forte possibile)で華麗に締めくくられます。ここはご自分で聴いていただくしかないでしょう。3000人のリスティアンの熱狂・高揚を思い描きながら、お楽しみください。オペラファンタジー好きなら、当時のような熱狂を感じることが出来るでしょう。
なお、第1稿(S419i)のタイトルが「『ニオベ』の主題による大幻想曲」("Grande fantaisie sur des thèmes de l'opéra Niobe")で、第2稿(S419ii)は「『君の胸のときめき』によるディヴェルティスマン」(Divertissement sur la cavatine I frequenti palpiti)です。第2稿は第1稿から削ったり簡単にしたりして面白くなくしたものなので、第1稿が演奏される機会の方が多いようです。