「ようデカチン」
「ああ…クサビさんどうも」
奴の気分やら感情やらを読み取るのは、なかなかに難しい。
常時仏頂面だからだ。
笑った顔なんて、絶滅危惧種なみに貴重だ。
しかしその日は珍しく、鉄壁の無表情に奇妙な色が伺えた。
「お前、どうした、その目」
右斜め下を見つめる暗いパンダ
「寝不足だぁ?」
「はい」
「なんで?」
そう聞くと、一瞬目線が床に向いた。
言いたくなさそうな顔だな
「言いたくないのかよ」
「え、いえ、そう言う訳では」
「ふーん」
腕組みし、睨みを利かせながらデカチンの目を見つめると、案の定目を逸らしやがった。
…完全に何か隠してんな
「ま、いいけどな」
指に挟んでいた煙草をアルミの安っぽい添えつけの灰皿に擦り付けると、己はデカチンに声をかけた。
「捜査、行くぞ」
灰色の空の下、白波の浮かぶ春の海は、どこか虚しい。
恐らく、己達の共通理念である海の色≠ニ、この海の湛える薄墨色が、かけ離れているからだろう。
春と言う季節などかけらも感じさせないそれと、今己達が生きているこの社会とを比較している自分に気付き、思わず笑いが出た。
「何笑ってるんですか…」
奴の疲れた声が聞こえる。
耳元では、相変わらずゴウゴウと風が吹いていた。
コートのポケットに手を突っ込み、肩を竦ませ、その風から身を守るが、大した効果は無い。
隣で眠そうに目蓋をしばたかせている愛しの部下に目を向ければ、そのチンチラの様な目と視線が絡んだ。
病的に白い肌は、灰色の風景の中で、より際立って映えていた。
「お前、死体みたいじゃん」
「死体は、あっちですよ」
デカチンの指差す方向、ちょうど己達より2歩ほど後ろに、美しいブルーのシートがなびいていた。
湿った砂浜におざなりに横たえられたそれは、無機質ながらも、確かにその存在を主張している。
まるで、まだ生きている様だ。
「まだ、生きてるみたいですね」
風の音に消されるか消されないかの静かな声が、小波の音に混じって聞こえた。
自分と同じ事を考えていた事に酷く驚き、己は再びデカチンに視線を向ける。
先程まで己の目を見ていたその黒い双眸は、今はブルーのシートを捉えていた。
真剣なその表情とは裏腹に、目元に出来た薄い隈が、ややおどけて見える。
そのパンダっぽい風貌に、おかしさがこみ上げてしまうのも仕方ないだろう。
「クサビさん」
「ん?」
「人の顔見ながら笑わないで下さい」
「バレたか?」
ははは、と乾いた笑いを漏らせば、デカチンがズビっと鼻をすすった。
そして口元を手で覆うと、欠伸をひとつする。
「今日は早く寝ろよ」
「夜更かしとかじゃないんですよ」
「じゃあなによ」
奴の顔が、しまったとでも言いたげに歪んだ。
普段が普段なだけに、こう言う人間臭い仕草が、やたらと新鮮に感じる。
「そんなに言いたくないか?」
「…恥ずかしいので」
「言ってみろよ」
「……誰にも言いませんか?」
「こう見えて、口の堅い男だよ己は」
「………」
「なんだ。そのねっとりとした視線は」
暫く迷う様に、足元の砂を革靴でいじっていたデカチンだったが、意を決したのか、顔を上げ己の目をじっと見つめる。
今更だが、こうして見ると本当にチンチラの様な顔つきだ。女かお前は。
己の観察眼も、まだまだ現役って事か。
「絶対内緒ですよ」
「わかったよ」
死体を前に、いい歳の男が二人、砂浜で見つめあいながら内緒話をするというのも、字面だけみればかなり気持ち悪い光景ではあるが、そこには奇妙な高揚感と言うものが存在する。
子供の頃には確かに存在していたその懐かしい感覚に、己は思わず目を細めた。
「あのですね」
「ああ」
「実は」
「ああ」
「……………夢が」
「え?」
目を伏せ、常人よりやや長い睫毛が、冷え切った白い肌に影を落としている。
それだけで、本当に今から死ぬんじゃ無いかと言う気さえした。
しかしながらそんな筈も無く、奴はただ淡々と薄い唇を動かし、言葉を紡ぐ。
「……怖い夢を」
「…怖い夢?」
一際強い風が、己達の頬を撫でた。
その冷たさと感覚に目を覚ました様に、デカチンが目を開く。
「…どんな夢だ?」
「……内容は…覚えてないんです」
「覚えてない?」
「…何を見たのかも、何をしたのかも、思い出せないんですけど…」
「ただ、怖いって言うのだけはあって……」
そう言うと、奴は海へ視線を向けた。
己の気のせいかも知れないが、その横顔が、どこか物悲しく見える。
「キスしてやろうか」
何故そんな事を言ったのかは解らない。
全く持って正気の沙汰とは思えないが、あの時は何故か、そう言ってやった方がいい気がした。
「えっ?」
案の定、鳩が豆鉄砲食らったようなビックリした顔をしながら、デカチンは己に目を向けた。
先程まで細められていた目が、今ははっきりと見開かれている。
己はその顔を見て、今度は本当に笑った。
思うに奴は、己の前で素直すぎるのがいけなんじゃないだろうか。
だからこうして、少しからかってやりたくなってしまう。
ただ、普通とちょっと違うところと言えば、
奴の、誰も見たこと無い表情を見れるという、確かな独占欲が
己の中にある事位だ。
奴の目が閉じる。
2006/4/21